ロンボク海峡過ぎてからですが、いよいよ、南氷洋に向けてとなります。
気温も出航時の涼しいところから、赤道に近づき暑くなり、そしてまた寒くなっていくという、
恐らく陸では味わえない、2週間のうちに冬と夏を迎えるという、貴重な?体験が出来ます。
それはそれとして、赤道を越えて南氷洋に向けてとなりますが、ここで一つの関門が出てきます。
それは暴風圏といわれるもので、南緯35~45位のいつも荒れているエリアです。
天空の城ラピュタで言うところの竜の巣のようなイメージです。私の勝手にですが、あの宮崎監督も
ここからイメージしたのかなと思っていますが、南氷洋に行くまでに避けて通れない、大荒れの地域です。
ここを抜けると穏やかな南氷洋が待っています。(夏なので)
なんせ揺れが凄いので、ここの通過時には色々起きます。基本、部屋の中はシッチャカメッチャカになります。
テレビが倒れたりお皿が落ちたり、ひどいときは、ポルトといって船でよく見る円い窓が波の勢いで枠ごと取れて、部屋が水浸しになる、なんてこともあったりします。建物で言うと4階の位置にある部屋でも安心できません。
ポルトを開けていたら、そこまで波が上がってきて、部屋が水浸しなんてこともありました。
こんな時はなかなか夜も寝られません。部屋のものが色々動いたり、落ちたりで音を出しますし、
自分自身もベッド上でも滑るからです。寝ていると揺れごとに身体が左右に滑っていきます。
まあ、熟睡できません。波というものは、パワーを貯めるのか、毎回同じ揺れではなくて、普通の揺れが続くうちにパワーを貯めておいて、何回目かにとても大きく揺れます。こんな時に、部屋はシッチャカメッチャカになるんです。
僕は母船(大きい120m位の船)だったのでまだよかったですが、キャッチャー(捕獲する70m位の船)ですと船体が40°くらい傾くというので、恐ろしい限りです。寝られる気がしない。
とにかくこの3.4日は大荒れの毎日ですが、これを超えることで、いよいよ南氷洋です(^^)
前回は赤道付近の話をしました。いよいよロンボク海峡なのですが、
ここで、また一つ、フィリピンやインドネシアの人々の生活圏に入っての出来事を
思い出しました。島には勿論、動物もいるわけで、中でも空を飛べる物と言えば
昆虫です。夜走っているとき、船でも明かりを点けているわけですが、
その光に昆虫が寄ってきます。廻りには島など見えないので、なんでこんなところに!
と、思うのですが、どこからか明かりに誘われてくるんですね。
風に乗って飛んでくるのでしょうが、こうやって離島にも生息域を広げていったんだろうなと
感心します。日本でも八丈島や小笠原などにも昆虫がいるというのは、こうしてなのでしょうね。
私は昆虫も好きなので、南方の昆虫を捕まえられると言うことで、
もうウキウキです。
いけないのですが、ついついお土産にと採集してしまいました。
子供も昆虫好きなので、大層喜んでくれるかと思ったら
意外に反応が悪い。折角捕ってきたのに~。
子供としては、クワガタやカブトムシなど、もっと派手なものを期待していたようです。
他にもハエやら蝶やらいたのですが、捕まえられなかったのが残念です。
ロンボク海峡は治安があまりよくないということで
夜中に灯火管制をして通過します。明かりが漏れて海賊に見つからないようにするためです。
バリ島が尚更きらきら光って、とても綺麗でした(^^)
前回の続きです。キャッチボールをよくしていたという話をしました。
今回は何にしようかな。
そうだ、携帯の話になりますが、船では勿論電波は入りません。
Wi-Fi環境もないので、一日2回のメールか、バカ高い通話料金の衛星電話しかないとは
以前書きました。
ただ、出航してすぐに電波がなくなるかというとそうでもありません。
出航してから24時間位は、入ります。広島は因島からでて、瀬戸内から宮崎沖を進んでいく為
まだ陸地に近いからです。しかし、宮崎沖当りからは携帯キャリアの差が出てきます。
一番強いのがau で次にドコモ、ソフトバンクと続く電波の強さでした。
au が圧倒的に強かったですね。理由は知りませんが。
鹿児島沖からいったん電波が切れます。次は航路によりますが、奄美だったり
大東島だったりの電波が入ります。この辺はau でないと入らなかったです。
(もっとも島影が見える間の何時間かしかありませんが。)
なので、出航二日目くらいまでは、完全に電波がゼロではない生活です。
その後、また途絶えて、何日か後に不意にミンダナオ島の電波が入ってきます。
ここで、易々とケータイ復活とはいきません。国際通話になるからです。
やはり、料金は割高なので、利用している人もいましたが、たいていの人は
もう、船内メールを利用していました。私も含め。
本州から離れてからは、人の生活を感じることは出来ませんが、
この辺りからは船の往来も多く、他の船や、地元の小さい船の漁師さんや小さい島など見えてきて、
人の生活を感じられて嬉しい気持ちになります。
人恋しいという感覚は、船に乗ってしみじみと感じましたね~。
水平線上に雲の塊があるとその下に島がある。廻りに島影は何も見えないのに、こんな小舟で…。
そして、赤道を通過し、いよいよバリ島とロンボク島のロンボク海峡を抜けていきます。
また、続きます。
年明け2回目の投稿ですが、
今回は、調査捕鯨が終わり、南氷洋がなくなると言うことで、
南氷洋の航海について書いてみたいと思います。
年2回の航海で秋口に出航する(南半球は季節が逆なので日本の冬が向こうの夏、氷の少ないときに行く)のが、南氷洋の調査捕鯨ですが、出航後は、大体10日位で赤道を通過し25日間かけて到着します。
この25日間というのが、もう一つの北西太平洋調査との大きな違いで、こちらは
到着までに5日間しかありません。
25日間の間に何をしているかと言えば、漁具の準備や機器類の整備、生産工場のラインの整備や復旧、洗浄などが
主になります。(運航部や機関部などは船を動かすのが仕事ですから、片道の期間はあまり関係ないと思います。)
帰りの航行では、次の北西太平洋の為の準備をしておきます。
さすがに25日間もあると、作業的にもゆとりがあり、作業が少し早く終わったりした時は、
早めに仕事が上がりになるときもあります。
私はこんな時は甲板でキャッチボールをしていました。
(レクリエーション向けにグローブとボールの貸し出しがありました。私はグローブ持参していましたが)
赤道直下の、広く、青く、高い高い空の元でするキャッチボールは、何とも気持ちのいいものでしたが、
難点がいくつかあって、
眩しすぎて、ボールがよく見えない。
暑すぎて、息があがってくる。
広いようでも、甲板は甲板。下手な人とやるとボールがすぐ海に。
というわけで長い時間は出来ませんでしたが、
来る調査開始に向け、英気を養っておけました。
続きはまた今度(^^)。
日頃、ご愛顧いただいている皆様、昨年は大変お世話になりました。
昨年は5月に店をオープンしまして、今に至るまで、色々なお客様との出会いがあり、
また、色々な飲食業者の方との出会いもあり、パンや餃子やラーメン、アクセサリーなど
くじらの可能性を感じることの出来ることが沢山ありました。
また、イベントなどにも参加して、より多くの方にくじらを知っていただく機会を
持たせてもらうことも出来ました。
あっという間の一年(ほぼ半年?)でした。
そもそも、私は元々の調査捕鯨船員ではありません(普通は水産高校や水産大卒)
普通に文系育ちで、就職も鮮魚関係から試薬販売の営業、学校教材販売の営業をしていました。
船に乗ったのも、30過ぎです。
以前からくじら肉が好きで、くじらに惚れ込み、くじらの美味しさをもっと世間の皆様に知ってもらい、見直して欲しい。
そういった思いから、何をするべきか考えたときに、まずは販売窓口が必要。そして販売する窓口を
もっと増やすことが必要と考えました。
そこで、飲食店を自分でやりつつ、卸売りもして、くじらの販売窓口を広げていこうと思いました。
ただ、そのときの私はただのくじら好きでした。
ここで、思いだけで始めたところで、くじら肉のよさを伝えることは出来ない。
そう考え、調査捕鯨船に乗ることを決意しました。
一度乗ったら4ヶ月は海の上です。子供や妻を置いてそこに足を踏み出すのは
決意が必要でしたが、妻は理解を持って受け入れてくれました。(感謝感謝です(^o^))
おかげで、船で鯨肉の貴重な経験を積むことが出来、
自信を持って今に至ることが出来ております。
今年もくじら肉のよさ、美味しさを知ってもらうために、更に頑張っていきたいと思います。
宜しくお願い致します(^o^)